【日本語教員試験】用語集を閉じて話そうよ!お昼休みの5分講義:その③「フツー」は「無標」、「トクベツ」は「有標」

日本語教師の日常

はじめに

難しく感じる専門用語も、日常の身近な感覚に置き換えるとスッキリ頭に入ります。職場の後輩への、お昼休み教員試験レクチャー。第3回目の今日は、「有標(ゆうひょう)」と「無標(むひょう)」、そして試験によく出る「有標性差異仮説(ゆうひょうせいさいかせつ)」です。

漢字を見るなり「有罪と無罪の親戚ですか?」なんて言っていた彼女ですが、実はこれ、私たちが毎日やっている「ある工夫」のことなんです。

1. 「標(しるし)」があるかないか

「標」という漢字は、「目印(マーク)」のことです。

  • 無標(むひょう): マークなし = 「ふつう・標準・当たり前」
  • 有標(ゆうひょう): マークあり = 「特別・例外・わざわざ言う」

これだけだとピンとこないので、彼女には「ネコ」で説明しました。

道を歩いていて、猫を見かけたら普通は「あ、ネコがいる」と言いますよね。これが「無標」(ふつうの状態)です。

いっぽうで、わざわざ「あ、母ネコがいる」と言うときは、出産を控えているとか、子猫を連れている時だけです。この、わざわざ「母」というマークをつけた状態が「有標」

言葉の世界では、「普通はそっちを指すよね」という方が無標で、「わざわざ区別して言う」方が有標になります。

つまり「有標ー無標」は、2つのことばを並べたときに浮かび上がる相対的な概念ということになりますね。

2. 有標性差異仮説(外国語はなぜ難しい?)

教員試験によく出るのが、この応用編の「有標性差異仮説」です。学習者が新しい言語を学ぶとき、母語との「違い」がどう影響するか、というお話。

これを彼女に教えるとき、私は「登り・降り」に例えました。

  • 段差を「登る」のは大変(習得が難しい): 自分の国にはない、新しくて複雑なルール(有標)を覚えるのは、段差を登るようにパワーが必要です。
  • 段差を「降りる」のは楽(習得がかんたん): 自分の国にある複雑なルールを「捨てて」、学習言語のシンプルなルール(無標)に合わせるのは、段差を降りるように、案外すんなりいっちゃいます。

つまり、ただ「違いがあるから難しい」のではなく、「難しい方(有標)へ向かうから難しいんだ」という仮説です。

難易度

有標性差異仮説のイメージ

具体例

【 難 】

無標(シンプル) ➔ ➔ 登る ➔ ➔ 有標(複雑)

敬語がない国の人が、日本語の敬語を学ぶとき

【 易 】

有標(複雑) ➔ ➔ 降りる ➔ ➔ 無標(シンプル)

母音が多い国の人が、日本語の5つの母音を学ぶとき

例えば、日本語の母音は「あ・い・う・え・お」の5つだけ。これは諸外国語にくらべて少ない方です。だから、学ぶ側からみると日本語の発音(母音)は楽ということになります。

ただし、日本人が他の外国語を学ぶとき、母音の多さや日本語にはない母音の聞き取りに苦労することになります。つまり「無標(5つ)→ 有標(たくさんの母音)」への段差を登るパワーが必要なわけです。

一方で、日本語の敬語は、敬語のない国の学習者には難しいですよね。学ぶ側からみると敬語は未知のマーク(有標)です。やっぱりこの「無標(敬語なし)→ 有標(敬語あり)」への段差を登るにはパワーが必要ということになります。

3. まとめ

  • 無標 = いつもの「普通」(マークなし)
  • 有標 = わざわざ言う「特別」(マークあり)
  • 有標性差異仮説 = 段差を「登る(有標へ)」のは大変、段差を「降りる(無標へ)」のはラク。

おわりに

「違いがあるから、そこが苦手なんだね」と一括りにしがちですが、学習者の頭の中では「段差を登っているのか、降りているのか」という違いがある。それが分かると、教える側のサポートの仕方も変わってきますよね。

「先生、私いま、教員試験の階段を必死に登んでます!」

そう言って笑う彼女の頭上には、間違いなく「合格」の有標(マーク)が見えた気がしました。

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